平戸松浦家のおてがけ
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財団法人 松浦史料博物館
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館長 木田 昌宏
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旧平戸藩領内の平戸・生月・的山大島では、新年に丸ボーロ、一口香等のお菓子や蜜柑、干し柿、昆布、するめなどを盆や三方に盛りつける「おてがけ」という習俗があり、現今でも続いています。 この「おてがけ」のいわれについて、松浦家旧記『壺陽録』よりご紹介します。 この旧記によりますと、平戸松浦家第23代松浦弘定(1466生、1515没)は、兄弟によ るいさかいのため、筑前(現福岡県)箱崎金胎寺に難を避けていました。そして明応元年 (1492)の正月を迎えました。それによれば、寺の住持が「御蓬莱(おてがけ)を自ら持出て大服(おおぶく)をもまいらせける。元旦に金胎寺御手懸を上る事此御吉例也とそ」 とあります。後年平戸にも金胎寺を建立し、筑前金胎寺の僧を招き、開山としました。こ の金胎寺においても、「おてがけ」を上げていました。 |
江戸期に松浦家で作成された『御祝帳』に「御手かけ鈴鉢」の図がありますが、鉢には、米が鉢全体に盛られ、昆布、熨斗鮑、蜜柑、橙、柿、かち栗が盛られています。鉢の縁には五枚の裏白の葉が飾られています。これにより松浦家では、江戸時代、新年に「おてがけ」をつくり、祝っていたことが判ります。 近年まで、平戸松浦家では、新年年賀の挨拶に来訪するお客様に「おてがけ」を差し上げていました。 平戸地方の「おてがけ」は、新年に松浦家の殿様から家臣がお菓子とお金、辻占を賜ったことが始まりであり、それを市民が真似するようになったものとも言われています。 現今「おてがけ」の風習を、昔ながらに、しっかりと守っている家庭もありますが、少し簡略化される傾向にあるようです。これからもずっと継承してほしいものです。 |
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