熈(ひろむ)公の正月祭

平戸藩主松浦家第35代熈(ひろむ)公の平戸城中正月祭祀
1月 1日御神系・嵯峨天皇御神系を表居間にて礼拝
1月 3日蓮乗君御慈像を祀り、隠宅芙蓉軒にて囃子初が興行
1月 7日表居間にて松囃子が行われる。
1月10日
 
熈公祝髪体の木造と棲霞園寿碑の石摺墨本幅を神体として花畑知材場の鞠初祭を
行う。
1月11日
 
平戸城具足開において、表居間にて五幅対(六孫王・不動尊・摩利支天・義家公・
道可公)を神体として礼拝。
1月13日塩竈・羅生門の両神幅を花畑洞清楼の囃子初に掛ける。
1月25日
 
花畑内の呦々舎で行われる、連歌会の例祭日に三幅神(渡宋天満宮神影・柿本人麿
影・玉津島神影)を掛ける。

松浦熈(まつらひろむ)
寛政3年(1791)松浦清の3男として、平戸城で誕生しました。幼名は三穂松、号は廓軒(かくけん) 乾々斎(けんけんさい)、亀岡山人(かめおかさんじん)などがあります。文化3年(1806)16歳で平戸藩主になりましたが、古くからの各種の制度を守り、1万石を父親清に奉じるなど孝養をつくしました。文化5年老中松平定信の娘蓁(しん)姫と結婚しました。同6年には自ら平戸領内を巡見して、病人を激励し、親孝行の子供を賞し、80歳以上の高齢者を慰労しています。 天保12年(1841)から、ふるさと平戸の景色をこよなく愛した熈は、異例ですが江戸ではなく平戸での隠居生活をおくりました。 文武の中でも特に文学に秀で、父が記した随筆『甲子夜話(かしやわ)』を製本保管し、平戸藩の出版事業も父よりも積極的に行いました。自ら多くの詩歌・書などを残していますが、中でも86巻の『亀岡随筆』は松浦家の歴史を研究するうえで大変貴重なものです。 大変地元を愛する気持ちの強い藩主でした。