正月の門松、所々ことなる事 ―甲子夜話より−
平戸松浦家は正月の門松飾りに際し、松の代りに椎木を用いる事は28年に寄稿したところですが、その他にも江戸時代の武家において、それぞれの吉例に従って独自の門松飾りがあったことを、『甲子夜話』より抜粋ご紹介いたします。
*『甲子夜話』とは松浦家34代清(静山)が文政4年(1821)霜月甲子の夜から稿を起こし、天保12年(1841)に82歳で没すまで書き続け、278巻、約7000項目という膨大なものであります。説話文学の要素を持ち当時社会、風俗、法制、宗教、自然現象、地理、その他狐狸妖怪等々広範囲におよび、また極彩色の挿図も沢山描かれており、江戸文学の白眉と賞賛される随筆集です。勝海舟は「江戸時代の世態人情を知るには本書にしくはない」として愛読したといいます。

写真右 松浦静山

甲子夜話
 〇正月門松を設けること諸家一様ならず。
・通常は年越しより七草の日迄飾るが、15日まで置く家もある。
   予が家、筑前の福岡侯、肥前の佐嘉侯、対馬の宗氏、南部盛岡侯、岩城氏など
・予が家は椎の枝と竹をたて、松を用いず。是は吉例の訳あること也。
・平戸城下の町屋は、戸毎に15日まで飾りを置く也。
・大城の御門松も世上とは異なるように覚えるが、今は忘れたり。
・宗氏は門内に松飾りがあるが、玄関の方を正面に向けてたて、松の代りにツバキを用いる。
・姫路侯家中でもと最上侯に仕えたる本城氏は、松は常の如く拵えて、表へはたてず、裏に臥して置くばかり也。これは昔、門松を拵えたるばかりにて戦に出、勝利を得た吉例と云う。
・姫路侯家中にもと名波家に仕えたる力丸氏の門松は、一方ばかりにたてて、左右には設けず。これも半ば拵えかけ戦に出て勝利した佳例と云う。
・佐竹侯は門松無し。これも何か困厄の後、勝利の吉例と云う。
・御旗本衆の岡田氏も門松無し。其故事は未だ聞かず。
・新吉原町の娼家では門松を内側を正面にたてるという。これは客が出ないという表兆なり。