平戸咄 |
天保5年 甲 午 十月
玉置半左衛門勝憲
平戸咄は玉置勝憲によって記されたものです。玉置は一時的に、この書籍の執筆のために平戸藩主松浦熈(ひろむ)に召し抱えられたようです。内容は平戸の伝統や風俗、産物から商売の話まで、平戸に纏わるあらゆる話が記されています。
その中から今回は平戸の正月行事に関する記事をご紹介いたします。
・正月 若水を汲みて盥嗽し、先是にて茶を煎して家内中寄て飲む。其時手掛を出す。茶うけには梅干、干大根 柿を用ゆること通例也と云。
手掛の仕方異なり、椎の実、栗、柿、味柑、へき餅、昆布、ダイコン、つるしば(江戸にてはゆずり葉と云)、もろむき(江戸にてうら白と云)。是太々につるしばを指して盛る也。通例の由也。
・元日の雑煮をのうれいと云は、多々在方の言う也。
・松飾 家々の風あり。町は一統十五日まで立置也。
松飾の具の内に年玉と云て、柿刻みて、みかん、するめ、こんぶ、もち、米、椎、栗、是を紙に包みてかた炭と太々と三種一ツに附る。
・松ノ内市中飾手桶出す家多し。
・三ヶ月絹布御免なり。
・正月十一日帳開と云て市中家々に祝う
・正月十四日もぐら打と云ことあり。竹の先に藁を結付けて、子供ぼうをして十四日のモグラ打と唱えさせて、土地を打たしむ。
・年玉は銀包を用ゆ
・十六日琵琶起しと云ことあり。御領分の座頭とも盲人頭桶屋町の“明いち”と云申家に寄集まりて、琵琶を弾する由也。林松寺の閻魔参りに行也。人多くは序に見物すと云。
・閻魔の齋日正月と七月なれども正月を重んず。
正月十一日ことと云事あり。飯を握りて小豆を付け、又はきな粉に柚の葉をひきたるを交ぜて付るもあり。是を藁つとにして神に供す。又は人々へ進物にす。
松浦史料博物館 岡山芳治
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